演芸とレコードをこよなく愛する伊藤一樹が、様々な芸能レコードをバンバン聴いてバンバンご紹介。音楽だけにとどまらないレコードの魅力。その扉が開きます。
伊藤一樹(演芸&レコード愛好家)
Ep.31 / 20 May. 2023
実はオイラ、三十年以上もタヌキと生活しているんです。ポン太といいます。同居する妻が言うには、あれはただのぬいぐるみ。だけど、三十年ですよ。三十年も一緒に生活していれば、あれは魂を持った生き物です。
ポン太の影響もあってか、小さい頃からタヌキが好きなんです。もさもさした体、ふっくらとした尻尾、それでいてイヌ科らしい凛々しい顔立ち。もうどこもかしこも愛らしい。
先日、共和国という出版社からタヌキの本が刊行されました。タイトルもそのまんま『たぬきの本』。五人のタヌキ好きが、動物園での定点観測や、信楽焼など、それぞれの視点でタヌキを語る本なのですが、オイラもタヌキについて語りたいなあ。よし、だったら勝手にここで、タヌキと演芸について書いてしまおうと、思い立ちました。
民話や昔話にはタヌキがよく登場して人を化かしていますが、落語の世界にもタヌキはよく登場します。『権兵衛狸』『狸の札』『狸賽』『お化け長屋』などなど、ここでもタヌキはよく人を化かしたり、人がタヌキに化かされたり、タヌキが人を···。
しかし、演芸界のタヌキは、人を化かすだけではありません。寄席の世界には、明治の昔より唄い継がれるタヌキ·ソングがあります。音曲師、初代立花家橘之助の残した浮世節の代表曲『たぬき』が今回のテーマです。
音曲とは、三味線を用いた唄モノ芸能全般を指します。寄席のプログラムでは、落語と落語の合間によく配置され、番組に彩りを添えます。ストーリー性のある出し物の後に聴く三味線の唄モノは粋でオツで、なかなかいいもんです。
そんな音曲の世界において、天才三味線プレイヤーとして名を馳せたのが初代立花家橘之助です。五歳で義太夫語りとしてデビュー。義太夫以外にも、常磐津、清元など三味線音楽全般を弾きこなし、八歳で真打となった早熟の天才少女です。様々な邦楽を取り入れたスタイルを自ら浮世節と称し、その代表曲が、長唄の同名曲をベースに作り上げた『たぬき』です。
初代橘之助は明治の芸人ですので、残された音源はSP音源。後年に盤起こしされLPで聴ける『たぬき』がこちら。
数年前に初めて聴いた時は、驚きました。とにかく三味線が巧い。三味線音楽に疎い人でもわかる圧倒的な演奏技術の高さ。中学生の時に初めてジミヘンを聴いた時のような衝撃をうけました。楽器の巧さはジャンル問わず伝わります。ぜひ、聴いてみてください。
浮世節は、様々な邦楽のスタイルを取り入れたものと紹介しましたが、『たぬき』の歌詞も似ています。昔話『分福茶釜』『かちかち山』のエピソードや、たぬき蕎麦、八畳敷、腹鼓、狸囃子などのタヌキ·ワードがてんこ盛り。しかもこのタヌキ・ワードは前後の繋がりもなく出てきて、歌詞にはほとんど意味はありません。パフィーみたいな感じです。ただただ、「あ~、タヌキだな~」「あ~、三味線いいな~」と聴いて楽しむ曲です。面白いでしょ。
初代橘之助の死後、浮世節の名を継ぎ、『たぬき』を復活させたのが西川たつという音曲師です。昭和初期から戦後すぐにかけて活躍した芸人なので、こちらもSP音源が元ですが、LP化されたものがこのレコードで聴けます。
談志 / 夢の寄席 (2LP)
名人・立川談志が席亭となり、自身がチョイスした古今の芸をオムニバスで収録した企画盤。トラックのタイトルは『俗曲集』となっていますが、浮世節の代名詞として『たぬき』を披露しています。西川たつも初代橘之助同様、早熟の芸人でして、常磐津家元の家に生まれ、十三才で初高座。当時の芸名は岸沢式多津。美形だったらしく、同じく若い女性の音曲師・立花家歌子と人気を二分していた、と、談志がレコードの中で語っています。このレコードは談志の解説付きなので、寄席演芸への理解が深まること間違いなし。
西川たつが1959年に亡くなると、その後しばらく「浮世節」の看板は見られなくなりますが、昭和の名女優・山田五十鈴により、その名が復活します。初代立花家橘之助の半生を描いた1974年の舞台作品、その名も『たぬき』です。舞台の映像はソフト化されていませんが、舞台公演を収録したレコード、いわゆる実況録音盤が2枚リリースされています。
浮世節 立花家橘之助 たぬき 山田五十鈴・芸の真髄 (2LP)
浮世節 山田五十鈴 東宝現代劇特別公演「たぬき」より (LP)
橘之助や西川たつと同様に、山田五十鈴も幼い頃より三味線を叩き込まれ、十才で清元の名取となった実力者。本作ではその腕前を存分に披露し、『たぬき』をしっかりと弾きこなしています。ストーリーも面白く、ライバルの娘義太夫語り竹本綾之助との丁々発止のやり取りは痛快。男優位の当時の演芸界において、三味線一本芸の腕だけで渡り歩いた橘之助のかっこいいこと! 演芸人の出演者も多く、古今亭志ん朝、吉原朝馬(当時金原亭駒八)、江戸家猫八(三代目)らの若き日の声も聴けます。演芸好きには聴きごたえバッチシのレコードです。
舞台『たぬき』での浮世節復活は、山田五十鈴の力だけではありません。多彩な三味線音楽を弾きこなせるプレイヤー、日本橋きみ栄が、この舞台の音曲監修を務めています。鴬芸者歌手としてデビューし、その後は邦楽全般を弾きこなす三味線プレイヤーとして邦楽の普及に努めた音曲レジェンドの一人です。彼女の弾く『たぬき』は、レコード会社二社よりリリースされています。
日本橋きみ栄の俗曲 (LP)
日本橋きみ栄大全集 第一集 (LP)
日本橋きみ栄の『たぬき』は、橘之助、西川たつ、山田五十鈴の三人と比べると、とっても端正。芸人の音曲というより、邦楽奏者による音楽を聴いているような気分になります。その分、一つ一つのフレージングがはっきりとわかり、三味線と唄の単旋律が絡み合う邦楽の魅力を堪能できます。ポリドール盤では横笛も入っているので、さらにポリフォニックなサウンドを楽しめます。山田五十鈴に教えた腕前は伊達じゃない。凄いです!
山田五十鈴も日本橋きみ栄も故人となり、『たぬき』はもう生で聴けないのかというと、そんなことはありません。2017年、音曲師·三遊亭小圓歌が立花家橘之助を襲名し、二代目が誕生。「浮世節」の看板を掲げ、現在も日々寄席に出演中です。フル・バージョンでないとはいえ、『たぬき』を弾くこともしばしば。唄と三味線が全く違うフレージングを奏でる様を目の当たりにすると、やっぱり凄いなと思います。ジミヘンみたいです。鳴り物とよばれる太鼓とのコール・アンド・レスポンス風なやりとりは北インド古典音楽のタブラとシタールを連想させます。寄席の中で味わえるライヴ感。生で聴く『たぬき』はいいですよ。二代目橘之助は最近弟子を取り、寄席にも出始めました。「浮世節」、そして『たぬき』、末永く寄席の世界に歌い継がれていきますように。
(つづく)
- Profile
- 1985年東京都東村山市出身。演芸&レコード愛好家。ジャズ・ギタリストを志し音大へ進学も、練習不足により挫折。その後、書店勤務を経て、現在はディスクユニオンにて勤務。出身地の影響からか、ドリフで笑いに目覚める。月数回の寄席通いとレコード購入が休日の楽しみ。演芸レコードの魅力を伝えるべく、2019年12月に『落語レコードの世界 ジャケットで楽しむ寄席演芸』(DU BOOKS)を刊行。
https://twitter.com/RAKUGORECORD
Our Covers #029 伊藤一樹