
日本を代表するダブ・クリエイターのマイティ・マサは、これまで7枚のアルバムと32枚のシングルをリリース。2019年8月にはエヴァートン・ダクレスのキラー・ルーツ「Jah Jah Ah Come」のカヴァーを含む12″「Prophecy」をN.Y.の《Black Redemption》レーベルから発表。すでに入手困難になりつつあるこの曲が大音量で鳴り響く中、彼のスタジオ《Dub Creation》でインタビューはスタート。
22 NOV 2019
eyeshadow (以下E): 意識的に音楽を聴き始めたのは何歳ぐらいからですか?
Mighty Massa(以下M): 洋楽にこだわって聴きだしたのは小学校5〜6年生くらいかな。姉が買ってきたモノラルの一体型のラジカセがあって。2つ違いなんだけど、姉貴は年がら年中フォークソング系のロック聴いててね。使ってない時にたまたまラジオかけたら、アース・ウィンド&ファイヤーとかさ、何だこれ!? って。それから『ポップス・ベスト10』みたいな番組を気にして聴くようになって、6年生から7インチ買ってばっかりいた。「セプテンバー」は小6か中1かな、今も持ってるよ。
E: 入口はディスコなんですね。
M: そう、ビージーズだったり『サタデー・ナイト・フィーバー』やアバとかの白人系ディスコ。あとはダイアナ・ロスも好きだったな。もちろんディープ・パープルとか、ああいうのも聴いてたよ。
E: 周りに同じような音楽を聴く友達はいました?
M: いや、いなかったな。だから小学校の時に透明の下敷きの間にアイドルの写真とか挟んじゃうやついたじゃん。俺は洋楽のアーティスト入れてたけどね、雑誌から切り抜いて。中学校に入って初めてディーヴォやプラスティックスが好きなやつが集まってテクノとかニューウェイヴなんかも聴くようになったけど。
E: 出身はどちらですか?
M: 神奈川県の大和市。横浜よりも東京の方が遊びに出るのが便利だったね、電車で1本だったし。中学の友達も東京から越してきたやつらと仲良くなってたもかしれない。根っからの地元の友達は音楽聴いてなかったような気がするな、今思うと。
E: 中学で聴く音楽の範囲がさらに広まっていったんですね。
M: そう、中学のときにレゲエってお洒落じゃね?とか思ってた。
E: 一番最初に耳にしたレゲエって覚えてます?
M: アスワドとか。洋楽のMVみたいな、ほら『ベストヒットUSA』系の番組にアスワドやUB40、ミュージカル・ユースなんかが出てたりしたからね。ボブ・マーリーって俺、ほんとレゲエ聴くようになってからちゃんと向き合うようになったっていうか。深夜にラジオをかけてたら、アスワドの「バック・トゥ・アフリカ」がかかって。『ジェットストリーム』だったかな。
E: そのままレゲエにどっぷり浸からなかったんですか?
M: どっぷりいかなかった。その頃はパンクやサイコビリーや2トーン・スカも好きだったしね。
E: UKも好きだったんですね。
M: レコード買い始めた頃はアメリカ、イギリスっていう意識はなくて。あと俺、ヘヴィメタルって言われてるぐらいのところまでは色々、アイアン・メイデンとかブラック・サバスとかさ、その辺は聴いてたけど。でも、おんなじ時代にテクノやパンクも聴いてるから、もうなんでも格好よければいいみたいな感じだよね。
E: いい曲に出会ったら、レコードを買うっていう感じですか?
M: そうそう。高校生になったらレコードの買い方がエスカレートして、バイトの給料もらったら新宿の《ウッドストック》や《キニー》っていう海賊盤専門店にレコードを買いに行ってた。そこでクラフトワークのライヴ盤が売ってたんだよ。それまでスタジオ録音しか聴いたことなくて、ライヴ盤を聴いたらシンセサイザーが良くてね。高校1年生の時に初めてシンセサイザー買ってさ、コルグの「Polysix」ていうやつ。本当は「Prophet-5」に憧れてたんだけど。バイトが休みになると毎週のように秋葉原へ友達と行って、シンセサイザー見てさ。
E: ギターやベースじゃなくて、いきなりシンセだったんですか?
M: やっぱりシンセサイザーって変わった楽器だったからね。子供の頃からピアノ習ってたんだけど挫折してね、そのかわり姉貴が長く続けてたからずっと教えてもらってた。自分達でバンドをやるようにもなってたしね。
E: そのバンドはキーボードで参加してたんですか?
M: キーボードもやってたし、ベースをやってる時もあったし。
E: 昔からマルチに楽器ができてたんですね。
M: できたわけじゃなくって、できないものを挑戦してやろうっていう気があった。家にはデカいアップライトのさ、ドイツ製のピアノがあったんだけど、でもそれよりもシンセサイザーの方が格好よくね?みたいなそういうところだよ。
E: バンドはどういう系統のジャンルだったんですか?
M: 高校の時はディープ・パープルやレインボーのコピー・バンドみたいなのやってて、それとは別に自分たちの好きなナンバーだけを演奏するようなバンドもやってた。ビートルズだったりザ・クラッシュだったり、セックス・ピストルズだったり。そういうバンドをちょこちょこっと。
E: カヴァーばっかり?
M: うん、2トーンもやったり。もう高校生くらいの時からツバキハウスづいちゃって、遊びに行くとスペシャルズやマッドネスがかかっててね。やっぱりロンドン系が好きで。
E: まさに新宿ツバキハウスの〈ロンドンナイト〉ですね。
M: そうそう〈ロンドンナイト〉。だってタダで入れたんだよ。高校生の時に行き倒して100回スタンプ貯まると、後はずっとタダなの。
E: そういうシステムがあったんですか。
M: 「ハンドレッド・メンバーズ」だったかな。東京で一人暮らしするようになってからはツバキハウスまで自転車で5分みたいなとこ住んでて。行きまくってたっていっても、結局〈ロンドンナイト〉以外つまんないんだ。〈レゲエナイト〉にも行ったりしてたけど、俺の求めるレゲエじゃなかった。
E: どんなレゲエを求めていたんですか?
M: 俺の求めるレゲエは初めてロンドンに行った時のサウンドシステムで、これだなって。20代だよね、オレンジ・ストリートを始める前かな。スカ・フレイムスでライヴしに行って。サウンドシステムっていうのがあるんだよって誘われて行ってみて、俺的にはもう100%ストライクなレゲエがそこにあって。70〜80年代の曲ばかりでニュー・ルーツもかかってたと思うよ。打ち込みのやつとか。
E: 具体的にはどういうところでコレだ!って感じました?
普段日本のクラブではかからない自分の好きな曲。マイナー調のどっぷり重たい系みたいな。日本じゃ誰もそんなレコードかけるやついなかったからさ。レゲエっていえばアドミラル・ベイリーみたいなダンスホールが圧倒的に多かったじゃん。それを88年とかにさ、70年代のルーツ・レゲエをかけて、お客が盛り上がってるのがイギリスだったんだよ。イギリスってすげえところだなって。その時、グラウンド・ビートが流行ってたの。
E: 世界的なトレンドでしたね。
M: その時に誘われたサウンドシステムっていうのは、ジョーイ・ジェイのGT(Good Times)サウンドシステムと、Soul Ⅱ Soulのサウンドシステムのクラッシュでさ。
E: おぉ、それを観たんですね。
M: その時のジョーイはドストライク。すげえ、もうコレしかないみたいなさ。もちろんグラウンド・ビートもよく知ってたんだけど、そっちは客が全然反応しない。
E: 全盛期だったのに?
M: Soul Ⅱ Soulがプレイし始めるとフロアからお客がいなくなっちゃう。
E: はっははははは!やばい(笑)。
M: それが1時間交代くらいでジョーイがレコードかけ始めるとまたフロアにどわって客が来て。明らかに当時の流行りの音はSoul Ⅱ Soulなのに。
E: それは全く日本にない情報ですね。そして、この後にオレンジストリートを始めるわけですね。きっかけを教えてください。
M: 俺、焼き鳥屋に勤めてたんだけど、その時に(後にオレンジストリートで働く)ズーシミ(※1)がバイトでその焼き鳥屋に入ってきてさ。3年ぐらいズーシミと働きながら、個人でレコードを仕入れて売ってた。イギリスのジェットスターにオーダーして。
E: いきなり本格的ですね。しかもレゲエ?
M: レゲエだよ。その頃、ほらシャインヘッドの1stアルバムが人気でどこにも在庫がなくて、スカ・フレイムスのライヴでロンドンに行った時にジェットスターを見に行ったら売れ残ってるLPがあって。そういうのを最初にやってたけどね。買い付けたレコードを個人的に友達に売ったりしてたよ。
E: なるほど。そこからオレンジストリートにつながっていくんですね。
M: 商売になるんだったらレコード屋やろうかなと。まだその頃はCDのラインナップも充実してなかったじゃん。
E: そうでしたね。オレンジストリートのオープンって何年くらいでしたっけ。
M: 91年ぐらい。最初は原宿辺りで店舗を探してたんだけど、当時から原宿は家賃が高かったからね。まあ新宿も大して変わんなかったかな、その頃まだバブルな感じでどこも家賃高かったからね。
E: 買い付けはジャマイカに行ってたんですか?
M: ジャマイカにはね、92年に1回行ったんだけど、もうズーシミがオレンジストリートのスタッフだったからね。91年かな? 2人でジャマイカ行ったの覚えてるもん。だって一緒に行って事故起こしてるからね。
E: え、そうなんですか!?
M: 車の、交通事故ですよ。(ジャマイカ人で案内役の)ホープトンが運転してて、車が横転しちゃって。だって普通の国道をさ、100km以上出して急カーブ曲がろうとしてんだよ。
E: 自滅ですか?
M: 自滅ですよ。ホープトンが右カーブの道を曲がろうとしたんだよ。センターラインが黄色だったのまで覚えてんだけど、その黄色いセンターラインを越えて、なぜか反対車線に入って。そうしたら対向から大きなスクールバスがグイーンって来て、思わずハンドルをピュって一瞬切った瞬間、車がバランス失ってバーン!で、川原みたいなところにボンボンボン、車がひっくり返ったまんま、でーんっと。
E: シートベルトしてないですよね・・・。
M: してないよ。車が逆さになってからだいぶ滑ってたよ。
E: 記憶はあるんですか?
M: 記憶はあるある。もう目を開けた瞬間、ガラスがバァーンって。
E: すっごい話ですね。やばかったじゃないですか。
M: レコードの買い付けが終わって、いいレコードは後部座席に置いてあったんだよ。それ全部粉々になっちゃて(笑)。
E: ケガは2人とも大丈夫だったんですか?
M: あー大丈夫だったよ。ドライバーだけ頭縫った。
E: 奇跡的ですよね。
M: とりあえず、モンテゴ・ベイまでタクシーで連れてってもらって、そんときも最初$1000でいいって言ったのに着いたら$4000とか請求してきやがって。
事故証明してもらわないと保険下りないから警察に行ったら、お前ら帰れって言われて。お前らの来るところじゃない、みたいな。大体、あんだけのデカい事故が起きたのに警察も来なきゃ、パトカーも・・・いや、救急車も来ないみたいな。すごいでしょ、ジャマイカって(笑)。
E: 色々すごい(笑)。
M: で、もう2度とジャマイカには行くまいと思って、ジャマイカには行ってない。
E: 今でもそれっきり?
M: うーん、今でも行きたくないな。俺の求めるものジャマイカにはないもん。俺の求めるものはもうジャマイカからイギリスに越しちゃったんだよ。
E: 音楽的にもジャマイカは「俺の求めるものじゃない」って感じだったんですか?
M: もうダブプレート作りに行った時点でそう思った。
E: それはスカ·フレイムスの音源で?
M: いやいや、自分で作って。自分のサウンドでダブプレートっていうのが役に立つんだなっていう、なんか予感がしてたから。ジャマイカでカッティングしようかなと思ったら、誰かシンガーとかMCを入れないとダブプレートを作れないって言うから、そんなことあり得ねぇだろと。
E: では作らなかった?
M: いや作ったけど、なんか変なスナガ・プスのMCとかあんなの入れられて・・・。
E: 入れられちゃったんですね(笑)。それがマイティ・マサ初のダブプレートになるんですか?
M: いや、先にロンドンで作った。
E: それはどんな風に作ったのでしょう。
M: 自分の機材を揃える前の話だけど、最初はアルファ・エンタープライズのスタジオで。ちょっとした打ち込みセットみたいのがあるからって言われて、そうしたら思い通りに曲が作れてさ。それをイギリスのJTS(Jah Tubbys Sound)に持って行ったら当時カッティング・エンジニアやってたのがアバ・シャンティ・アイで、それでアバにカッティングしてもらって。で、アバが「これは誰が作ったんだい?」って訊くから、俺が作ったんだけどって話になって。マジ?みたいな。
E: 何年くらいのことですか?
M: 93年だったかな、アバがサウンドシステム始めてすぐぐらいの頃。その曲をコピーしていい?って言われて、もちろんいいよって。来週のサウンドシステムでコレかけるよって言うから、来週も俺ロンドンいるからもちろん行くよって言ったら本当にかけてくれて。
E: どうでした?
M: いやーよかったと思うよ。ほら、自分で作ったのを人がかけるのってあんまり聴くことないからさ。しかも外国で、すごいじゃない。自分が何かをしてるわけじゃないけど、なんか緊張もしたよ。周りにいた地元の人も良かったって言ってくれて、俺は何もやってないよって感じなんだけど(笑)。
で、思ったように音が出たから、これなら自分でももっとやれんじゃねぇかと思って。それからひるむことなくずっとやり続けてるんだと思う。
E: ルーツ・スタイルでの活動が本格的になるんですね。
M: スカとかロックステディとか散々レコードを買い集めてさ、ほとほと人と背比べするのが嫌になってね。自分で作ったので勝負できないと、もうこの先自分でやってけないじゃん。自分で楽器とかできるんだったら、やっぱ自分で作るみたいな。あれ持ってる、これ持ってるの世界でモノ言われても。そういうやつらと一気に差をつけようと思って、もう自分のレコードを投げ売ってまで機材買ったりとか。
E: ニュー・ルーツを90年代の初めに聴いた時から、これはずっと残っていく音楽だなっていう感触はあったんですか?
M: もう全然あったね。むしろラスタがいなくなることはないじゃん。いわゆるクラブ・ミュージックよりも1本筋が入ってる。この先も廃れることはないと思うんだよ、絶対。
E: トレンドで動いてないですもんね。
M: そうそうそう。ラスタファリ思想はリリックにしても何にしても、むしろ人間のこれだっていうモノのひとつだって気がするんだよね、音楽的に。切っても切り離せないというか。
ニュー・ルーツっていうのはルーツ・レゲエよりもメッセージ性がさらに強くなっているし、人間としての永遠のテーマみたいなものをずっとリリックで作り続けていける音楽。
E: これからもずっとマイティ・マサの活動を続けていきますか?
M: まぁ、うん、やってくだろうね。これをやめちゃうと自分がなくなっちゃう。
E: ジャンルを変えてたまには違うことやりたいなっていうのはないですか?
M: 音楽で?それなら普段ソウルやジャズかけたりとかレゲエを全然かけずにDJすることがよくあるよ。東京ではやらないけど。
E: どういう曲をかけるんですか?70年代?
M: ノーザン・ソウルあり、〈ブルー・ノート〉のジャズから何でも。
E: ソウルで好きなアーティストを教えてください。
M: キリがないくらいいるね。例えばメジャーどころだったら、マーヴィン・ゲイだったり、すげえ好きだし。もっとマイナーな・・・マイナーなアーティストってね、ほら一発、二発しかいい曲を知らないから、果たしてその人が本当にいいのかどうかって判断できないというのもある。マーヴィン・ゲイとかダイアナ・ロスになるとさ、いい作品たくさんあるじゃん。レゲエに使われてるような曲もたくさんあるし。そういう鉄板もひっくるめて、もちろんマイケル・ジャクソンだって好きだけど、もっとマイナーなさ、誰も知らないノーザン・ソウルみたいなのも好きだし。なんかちょっと変わったものは何でも好きだね。
E: キーボードで影響を受けたアーティストはいますか?
M: 俺はビル・ダゲット。ソウルというよりもリズム&ブルース系ジャズのオルガン奏者だね。ジミー・スミスみたいに全面的にオルガンが出てくるような人じゃなくて、あくまでもギターとかサックスをフィーチャーしながら、地味に♪ウェーーンってやるタイプなんだけど。「Ska-Boo-Da-Ba」ってあるじゃんスカタライツの、あの曲の原型の人。
E: そんな風に今も古い曲をインプットしているということは、新しいものを作る方に頭が行ってることでもありますよね。
M: そうそう、古い曲でも十分引き出しになるから。このフレーズいただきみたいな。たくさん知ってるとやっぱり色々あるじゃん、曲を作る上では大事。
E: 今後の新しい展望というか、どういうヴィジョンがあるのか興味があります。やりたいこととか。
M: このまま継続していくと思うけど、曲はバリエーションあった方がいいかなと。コテコテのダブを作る人に比べたらもう少しヒューマンな曲を作りたい。ま、それは昔から心がけてることなんだけど。だから別にソウルっぽいルーツ・レゲエをやってもいいし、そういう曲を作ろうとする人はバンド以外に中々いないから。大体打ち込みで作るダブっていうと、もう曲のパターンがさ、マイナー調であればいいみたいなそういうのはね。
E: 確かに。
M: ニュー・ルーツの中じゃ、そういう意識の人はあんまりいないんだよ。そもそもニュー・ルーツを作ってる人はもうレゲエのことしか知らない、ましてや世代が一回りも二回りも下の人達だったらより他のジャンルを知らないと思うんだよ。もちろんあくまでも個人の問題だから俺がとやかく言う話じゃないけどね。だから、他のニュー・ルーツの人たちと比べたら、マイティ・マサはなんかちょっと変わってるよねっていうのを目指したいけどね。企みみたいな大それたのはないけどね。
※1:オレンジストリート勤務後、栃木県佐野市でレゲエ・レコード店ROCK & SHAKEを開業。カセットMuro vs Zoo-shimi『Super Funky Reggae Breaks』のリリースでも知られる。2013年急逝。
- Profile
- スカ・フレイムスのオリジナル・メンバーとして活動する傍ら、日本初となるUK ルーツ・スタイルのサウンドシステム《Mighty Massa Sound System》を1994年にスタート。95年には1stシングル「The Mighty Massa Sound System」をリリースし、その後もコンスタントに作品を発表し続けている。日本のみならずヨーロッパを中心に世界中のルーツ・ファンから人気を集め、ジャー・シャカ、アバ・シャンティ・アイ、アイレーション・ステッパーズ等の錚々たるトップ・サウンドシステム・アーティストがMighty Massのダブプレートをプレイする。
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