
演芸とレコードをこよなく愛する伊藤一樹が、様々な芸能レコードをバンバン聴いてバンバンご紹介。音楽だけにとどまらないレコードの魅力。その扉が開きます。
伊藤一樹(演芸&レコード愛好家)
Ep.53 / 20 May. 2025
現在私は、転職活動に専念しています。なんて言えば聞こえはいいですが、要は無職です。毎日毎日パソコンの前に座り、転職サイトを眺めては、必要書類を作成して応募を繰り返し、不採用を繰り返しています。
そんな生活を続けていたら、著しく体重が増加してしまいました。そりゃそうだ、動かないんだもの。そこで運動不足解消のため、散歩を日課とするようになりました。一日一万歩が目標です。
ある日のこと、暮らしている東村山市内を気の向くままに歩いていると、見知らぬ場所へと迷い込みました。自然豊かな森の中に見たこともない神社があり、すぐそばにはテニス・コート。もう少し歩くと、「面会人宿泊所」と書かれた建物。
どこなんだ、ここは?
思考を巡らせて気がつきました。ここは全生園だ。
正式名称「国立療養所多磨全生園」。かつては不治の病とされたハンセン病患者を隔離収容するために作られた施設です。現在は、高齢化する元患者たちの療養施設となっています。長年東村山で暮らしていますが、恥ずかしながらこの時初めて訪れました(東村山市立の小中学校に通っていたにも関わらず、一度も社会科見学で訪れることはなかった。今思えば不思議だ)。後日、改めて訪問し、広大な敷地内にある数々の史跡や、併設されている国立ハンセン病資料館を見学し、多くの人たちを苦しめた日本の負の歴史の一端を見ることができました。日常生活において人から人へ感染しないということがわかっても、治療法が確立されても、日本政府は隔離政策を止めませんでした。そして国民の多くは、無知や偏見によって患者(元患者)への差別意識を抱き続けました。非アカデミズムの愚かさです。知ること、学ぶこと、理解すること。それらを通じて、多様な人々が共存できる社会が築ける。改めてそう感じました。
この訪問をきっかけに、改めて観返したくなったのが、1974年に公開された映画『砂の器』です(この先、映画本編の核心に触れながら文章を進めます。未見の方で、一切の前情報なしに映画を鑑賞したい方は、また来月)。
国電蒲田の操車場で男性の殺害死体が発見されます。捜査を進めると、この事件の背景に、ハンセン病が関わっていることがわかってきます。そしてこの映画は、音楽が重要な役割を果たします。今回は全生園との出会いに感謝し、映画『砂の器』のレコードをご紹介します。
『砂の器』は、松本清張の長編推理小説です。1960年から約一年間にわたり、読売新聞の夕刊に連載されました。連載時から映画化構想があり、原作に大幅な脚色を加え制作されたのが、映画『砂の器』です。原作では、犯人・和賀英良は前衛的な実験音楽の作曲家として描かれますが、映画版ではクラシックのピアニスト兼作曲家へと設定が変更されています。この変更が肝となります。彼の楽曲「宿命」初演コンサートが、映画のクライマックスです。演奏される楽曲をバックに、ハンセン病を患った父親と共に、迫害を受けながら日本各地をお遍路する幼少期の姿が、鮮やかな映像で写し出されます。美しい日本の四季を背景に、いつ終わるともわからぬ悲しい親子の旅路。音楽と映像のシンクロ度が高く、過酷な生活を強いられた親子の姿が、胸に迫ります。
映画本編とともに、音楽も人気を博し、サウンド・トラック盤が発売されました。それがこちら。

このサントラ盤は、ただ劇伴をそのまま収録しているわけではありません。映画本編を追体験できるように構成されています。A面ではまず、映画前半のストーリーを劇伴+ナレーションで解説。その後、本編では使用されていない歌モノ2曲を挟んで、B面へ。ここからが圧巻です。丹波哲郎演じる今西警部補が捜査会議にて、和賀英良に逮捕状を請求する旨を告げます。コンサート会場では開演前のブザーが鳴り、捜査会議では今西が、和賀の父親がハンセン病を患っていたことを告げます。コンサートは開演。「宿命」がはじまります。楽曲をバックに、お遍路をする親子の姿がナレーションで描写され、印象的なシークエンスがいくつも挿入され、ストーリーが進行していきます。映画後半のクライマックスをそのまま再現しているといっても過言ではない内容です。映画を一度でも観たことがあるのなら、このB面に目頭が熱くなること間違いなしです。
A面に収録されている歌モノ2曲は、それぞれ「宿命」のメロディ・モチーフを元に作られ、菅原洋一によって情感たっぷりに歌唱されています。とくに2曲目の「影」は、「宿命」の作曲を担当したジャズ・ピアニストの菅野光亮の「翳」という曲が元になっています。菅野がバンマスとして参加したロイヤル・ナイツの1966年のソ連遠征時に録音された曲で、これをモチーフに改めて歌手の上条恒彦が詩を付けて「影」となりました。「宿命」の萌芽を感じられる一曲です。
映画『砂の器』は、この「宿命」という楽曲でなければ成立しない。そう思わせてくれるくらいに、心が揺さぶられる名曲です。そんな「宿命」をたっぷりと楽しめるのが、こちらのレコードです。

ピアノと管弦楽のための組曲 宿命 (LP)
作曲・ピアノ演奏 菅野光亮
演奏 東京交響楽団
指揮 熊谷弘
劇中で演奏された「宿命」やその他のシーンの劇伴を、音楽鑑賞用に再構成したレコードです。本編とは時系列順が異なる展開をしますが、それぞれの旋律、音色、ハーモニーに、印象的なシーンやセリフが浮かびあがります。映画音楽鑑賞の醍醐味です。セリフやナレーション抜きに音楽だけを楽しみたい人は、こちらのレコードをお楽しみください。
1970年代中盤以降、映画のサントラ・レコードが数多く発売されるようになります。そのきっかけとなったのが『砂の器』と言われており、売れ行きは群を抜いています。数年後には廉価版で再発もされました。

砂の器 サウンドトラック (LP)

ピアノと管弦楽のための組曲 宿命 (LP)
初回盤、再発盤ともに、収録内容に変わりはありません。ジャケットもライナーも全く一緒で、違うのは規格番号と価格の表記だけです。ヒット作品の宿命として、中古レコード市場では、どの盤も安価に購入できます。映画の追体験をしたい方はサントラを、音楽に浸りたい方は組曲『宿命』を、是非買って、ご自宅のスピーカーの前でお楽しみください。
とはいえ、「宿命」は結構長めの楽曲です。サントラB面は20分以上ありますし、組曲の方は40分近くあります。忙しい現代社会、もう少し短めに楽しめないものか。そんなあなたにオススメが、短尺アレンジ版です。

日本の大作映画ベスト22 (LP)

日本の大作映画のすべて (LP)

最新盤!日本の大作映画のすべて (LP)
前述の通り、『砂の器』以降、サウンドトラックが隆盛を極めていきます。この3枚はどれも1970年代後半に発売された日本映画の名曲集。サントラ人気が伺える企画モノです。「宿命」は、3分57秒にアレンジされて収録されています(3枚とも同一音源)。忙しくてフルで聴く時間はない。でも、『砂の器』のエッセンスを短時間でも感じたい。そんな方は、これらのレコードを聴いて楽しんでみてください。
「この親と子が、どのような旅を続けたのか、私はただ想像するだけで、それはこの二人にしかわかりません」
丹波哲郎演じる今西のセリフは、胸に刺さります。
どんなにつらい思いをしたか、どれだけ苦しい思いをしたかは、当人にしかわからないでしょう。だけど、想像して、学んで、理解して、苦しみに寄り添うことはできると思います。映画を観て、レコードを聴いて、まずは寄り添ってみてください。そしてできれば、全生園と国立ハンセン病資料館に足を運び、ハンセン病と向き合ってみてください。他者の痛みに思いを馳せることができれば、ほんの少しでも世の中が明るくなる。私はそう信じたい。
(つづく)
- Profile
- 1985年東京都東村山市出身。演芸&レコード愛好家。ジャズ・ギタリストを志し音大へ進学も、練習不足により挫折。その後、書店やディスクユニオンでの勤務を経て現在無職の素浪人。
https://twitter.com/RAKUGORECORD
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