
演芸とレコードをこよなく愛する伊藤一樹が、様々な芸能レコードをバンバン聴いてバンバンご紹介。音楽だけにとどまらないレコードの魅力。その扉が開きます。
伊藤一樹(演芸&レコード愛好家)
Ep.61 / 20 Feb. 2026
まずはこちらをご覧ください。

軍人さんがスーザホンを背負っています。このジャケの見た目通り、マーチです。軍楽隊の行進曲のレコードです。
ヘンリー・クレイ・ワーク作曲の「ジョージア行進曲」は、アメリカを代表するマーチの一つ。南北戦争後、ワシントンに凱旋する北軍を歓迎する場で演奏されたともいわれています。作曲者は「大きな古時計」の作曲者と同じ人。
そんなアメリカンな楽曲が、海を渡って日本にやってきた。どうなったかというと、
〽ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ
パリコトパナナデフライフライフライ
と、「東京節」となってしまったわけです。

明治・大正演歌の調べ (2LP)
明治百年を記念して発売されたレコードに収録の「東京節」。戦前を代表する流行歌の一つとして、この曲が収録されています。
なんでもライナーノーツによると、1919年6月、第一次世界大戦が終結。7月に日本で平和祝賀会が開かれ、その頃に「ジョージア行進曲」を元にした「平和節」が生まれたとのこと(どういう経緯で!?)。この歌の囃子言葉が「パイノパイノパイ」。歌詞を東京の情景に差し替えて「東京節」となり、流行したという。
なぜアメリカの行進曲に日本語の歌詞が付いたのかは、正直よくわからない。けれど、とにかく流行ったらしい。
その証拠に、戦前戦後を代表するコメディアン、エノケンこと榎本健一もカバーしています。

エノケン芸道一代 (LP)
「東京節」の作詞は、演歌師の添田知道(添田さつき)。知道の父は、同じく演歌師の添田唖蝉坊。明治大正の演歌は、現在のそれとは別物で、伴奏にはヴァイオリンが使われていました。そんな頃の雰囲気を伝えてくれるのがこの1枚。

なつかしの浅草 (LP)
小倉輝さんは、新宿の流し / 演歌師。レコード発売時点(1978年)で、演歌師生活51年とのこと。流しといえばギターのイメージが強いですが、高度経済成長期前半までは、まだバイオリン流しもいたようです。
そもそも〈演歌〉とは〈演説の歌〉が転じたもの。元は自由民権運動の壮士歌がはじまりです。それが1970年前後、〈演歌〉という言葉の意味が、いわゆる演歌(今の演歌)へと変わっていきます。
元の成り立ちは、体制批判の要素が強い演歌。そんな姿勢はフォークと呼応したのか、なぎら健壱は演歌に接近。最後の演歌師と称された桜井敏雄を再評価し、度々ジョイントコンサートを開催。その模様は、こちらのレコードに収められています。

復活! ヴァイオリン演歌 / 桜井敏雄 (LP)
日本のレコード歌謡の世界は、戦前戦後、ともに作曲・作詞・歌い手の分業制でした。その後、フォークやニュー・ミュージックが台頭し、自作自演のシンガー・ソングライターというものが一般化していきます。
そんな中、添田唖蝉坊・知道を明治のシンガー・ソングライターと見立て、大胆にロックテイストで再構築したのがこのLP。かなり異色です。

AZENBOの世界 / 津田耕次 (LP)
スタンダードというのは、どんなアレンジにも耐えうる曲のことだと思う。その証明のような名盤です。
さらなるアレンジが施されたのがこちら。

ドリフのバイのバイのバイ/いかりや長介とザ・ドリフターズ (7インチ)
荒井注から志村けんへのメンバーチェンジ後の初シングル。志村テイストあふれるソウルフルでファンキーな仕上がり。
注目すべきは、歌詞。「パイノパイノパイノパイノパ」の囃子言葉が、「バイのバイのバイ」 に変更されています。これが、きっと、現代の、
〽倍の倍のFIGHT 倍倍FIGHT by CANDY TUNE

に繋がっている……かどうかは、さだかではない。
(つづく)
- Profile
- 1985年東京都東村山市出身。演芸&レコード愛好家。ジャズ・ギタリストを志し音大へ進学も、練習不足により挫折。その後、書店員、レコード屋の店員、無職を経て、現在は雑誌編集職。経歴だけはまるで昭和の文化人。
https://twitter.com/RAKUGORECORD
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